畠山重忠の人物像と畠山重忠の乱の真相

今回のテーマはネットで話題となってる髭を生やしたらフレディーマーキュリー似説の中川大志さん演じる畠山重忠を掘り下げてみたいと思います。

 

正直主人公の義時との一騎打ちがあるとは想像していなかったので、個人的には大河史上屈指の神回(信玄VS謙信に勝るとも劣らぬ)と感じました。ネットでは次期大河の主人公に中川大志さんを推すのも頷けます(出来れば畠山重忠主人公の大河ドラマで)。

 

畠山重忠の出自


歴史好きなら、畠山と聞けば室町時代三管領で、応仁の乱のきっかけを作った畠山氏を思い浮かべるかも知れません。しかしこちらは足利氏の一族で、武蔵の畠山重忠とは関係はありません。

 

源氏の敵時代

 

畠山重忠の父・重能は平治の乱で敗れた源氏を見限って、平氏に与した日和見的な勝ち馬に乗る願望の塊みたいな人でした。

 

頼朝が大敗を喫し、命からがら安房に逃げ延びたあの石橋山の戦いでは、大庭景親梶原景時らと共に平氏方として出陣しています。実は北条のゆかいな仲間たちの三浦義村のじさま・三浦義明を討ち取り衣笠城を落とす活躍をしています。

 

番組で時政が畠山討伐に三浦義村和田義盛に何の説明もなく「じさまの仇を討つ時が来た」とちんぷんかんぷんのことを言ってたのはこのことなんですね。

    
    
    

北条義時と姫の前の鎌倉ものがたり

 

今回のテーマは比企能員の変の後、北条義時の下を去った絶世の美女・姫の前(鎌倉殿の13人では「比奈」)のその後です。


北条義時の姫の前への片思い


姫の前(以降役名の比奈ではなく一般的な姫の前で統一)は、頼朝にも気に入られた女房(奥さんではなく御所に勤める女官)でした

 



義時は女子は皆キノコ好き(;¬_¬)と思い込んで届けたかは定かではありませんが、なんと1年以上もラブレターを送り続けたようです。

 

見かねた頼朝が間に入って「どんなことがあっても離縁しない」という起請文を書かせて、片思いから一発逆転で恋愛を成就させたということです。

 

鎌倉殿の13人では片思いエピは、八重に使われたような気もしなくはないですが・・・。


姫の前の実家は義時に滅ぼされていない?

比企の出だから嫁いびりされたのか、舅の時政には前妻の八重と呼ばれて重たい空気になりましたね。ただ姫の前は実は猶子である比企能員比企尼の甥)とは、そんなに近い血筋ではありません。


姫の前の父は比企尼の実子(弟という説も)の比企朝宗で、母は北条政子に仕えたこともある越後局です(姫の前には歳の離れた弟もいるっぽい)。

 

しかも義時によって完全に息の根を止められた比企一族(一幡も)ですが、なぜか父の朝宗が殺られた記述がありませんΣ( ̄□ ̄)!


もちろん比企能員の変以前に亡くなっていた可能性も否定できませんが、姫の前は夫によって実家を滅ぼされたというのはちょっと違う気がします。

 

もちろん義時も義理の親や義弟を攻めるなら矛が鈍るでしょうし。

 

なので離縁はたまたま時期が重なったただけで、他の理由があった可能性も否定できないのではないでしょうか?

 


姫の前の比企能員の変その後

 


番組では愛する夫が苦しむのを避けるため、自ら身を引いた(比企だけに(^^;))姫の前ですが、演歌ですと夜汽車に揺られて北に向かうのですが、「そうだ!京都に行こう」と西に向かいました(^^;)


コネがあったのかどうかは定かではありませんが、この後姫の前はスピード再婚に成功しています(もちろんマッチングアプリや出会い系サイトではありませんΣ( ̄□ ̄)!)。


しかも比企能員の変から1年後には姫の前はなんと子供を産んだといいます。


ただ残念ながら幸せは長く続かず、その3年後に姫の前は静かに息を引き取りました。


後年姫の前の再婚相手(源具親)との間にできた子の任官の際には幕府からの推挙があったとか。後に執権となる義時の強力なバックアップがあったのではないでしょうか?

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇
にほんブログ村

 

 

比企能員の変の真相

噂では聞いていたのですが、ついに鎌倉殿の13人に慈円が登場しましたね(*⌒▽⌒*)実は慈円が著した「愚管抄」では、北条得宗家が後に書かせた「吾妻鏡」と全く違う記述がいくつもあり密かな楽しみでもあります。


という訳で今回は比企能員の変(乱)の真相です。

 

本当は怖い比企能員の変の真相

 

きっかけは頼家重病により、北条主導による一幡と千幡による権力分散相続案にありました。


激怒した比企能員重篤の頼家に報告し、北条追討を決意したのですが、政子が障子の陰から立ち聞きし(家政婦は見たかよ!)実家に報せることになるのですが・・・。

 

とこれは北条得宗家が後に書かせた「吾妻鏡」の記述です。

 

愚管抄には分散相続の話は出てきません。もちろん政子も立ち聞きして市原悦子さんのように「面白くなってきたわよ」なんてつぶやきません(;¬_¬)/ジー

 

大体生死の境を彷徨うほどの大病の頼家に、「北条がいけないんだ」なんて比企能員がチクるはずがありません。ましてや療養していたのは北条の息がかかる大江広元の邸ですし(-_-)

 

つまり比企能員の変は、比企能員誅殺などではなく、北条の一方的なクーデターだったということになります。

 

ですから一幡を助けるなんて気持ちはサラサラなかったということになります(寧ろこちらが主目的)。

 

ただ誤算だったのは比企一族を全滅させた後、頼家が奇跡の生還を遂げたことでしょう。

 

愚管抄によると頼家の死亡は既に朝廷に届けられていて(もちろんまだ生きてる段階で)、慌てた北条は刺客を送って2度死ぬことになったようです(007 かよ!(>_<))

 

また若狭局(せつ)が一幡を抱いて逃げたくだりは愚管抄にも記述があり、義時の家人に見つかってとどめを刺されたようです(もちろん日本で初めてブランコを作った善次ではありませんΣ( ̄□ ̄)!)。

 

比企能員の変は頼朝存命の頃から予見できた?

話は少し戻るのですが、頼朝は大切な世継ぎである頼家の乳母(後見役)を妻の実家ではなく、なぜ比企一族と梶原景時を選んだのでしょうか?もちろん比企尼への恩(比企尼の人物像参照)や公家の倣い(嫡男は実母ファミリーではなく乳母が育てる)もあるのでしょうが、一説には北条への権力の偏りを避けるためという説もあります。

 

つまり自前の武士団(譜代の家臣)を持たない頼朝は、特定の御家人が幕府を脅かすほどの勢力を持っては困るということです。

 

もちろん頼朝でなければ平家を倒すことができなかったのでしょうが(番組では夜這い好きの変態ジジイに扱われましたがΣ( ̄□ ̄)!)、北条の専横には決定的な歯止めをかけることはできませんでした。

 

ひょっとしたら馬から落ちたのも北条の・・・。

 

 

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇
にほんブログ村

 

比企尼の人物像と比企能員の変その後

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で比企能員の変の後、ばばさま(比企尼)が薄汚れた老婆に身をやつして再登場し、SNSでは「ホラーやんか!」と大反響のようです。ということで今回は比企尼の人物像と比企能員の変その後です。

 

頼朝祖先の八幡太郎義家は板東武者のカリスマ

 

後三年の役で名を馳せた八幡太郎義家(源義家)は、私財を投げ打って従った板東武者に恩賞を与えたことで常に語り継がれるヒーローでした。


義朝の代になっても、源氏は武家の棟梁と慕う板東武者も多く、比企尼の夫・掃部允遠宗もその一人でした。


義朝の信任も厚く、比企尼はやがて頼朝の乳母を任されますが、もちろん始めから尼ではなかったでしょう(ㆀ˘・з・˘)。

 

平清盛も知ってた比企尼の仕送り伝説

 

やがて頼朝が伊豆に流れると、比企掃部允も都合良く比企郡に転勤になります(比企郡の代官)。

 

ただ残念ながら夫は割と早い時期に亡くなったようで、その後に尼になったようです。もちろん本物の尼で、どこかの誰かさんみたいに「蒸れるから誰も見てないところでパタパタやる」なんてJKみたいなことはしませんΣ( ̄□ ̄)!


頼朝母ちゃん実家の熱田神宮やもう一人の乳母である山内尼は「宅は関係ないざますおほほほ」と無視したのに、比企尼は困窮する頼朝に20年間生活物資の仕送りを続けたのは有名ですが、平清盛も知っていたという説もあります(今回の大河ではマツケンさん、頼朝の存在すら忘れていましたがΣ( ̄□ ̄)!)。


そして比企尼がもうひとつ頼朝に送ったものがあります。
石橋山の戦いでも出てきましたが、観音様です(ご本尊を持って来いと無理難題を言って北条あんちゃん死なせてしまいましたが(^^;))。

 

頼朝は贈られた観音様を肌身離さず持っていたそうですが、石橋山から逃れて安房に渡れたのも観音様のご加護があったのかも知れません。

 

 

比企能員の変の後も比企尼は生きてた?

 

残念ながら比企尼の生まれた年も亡くなった年も分かっていません。
ただ比企能員の変が起こった頃は既に鎌倉を離れており、比企の地は比丘尼山で草庵に住んでたという伝承もあります。

 

若狭局も実は生きていた


吾妻鏡では比企能員の変で、一幡は焼死、若狭局は井戸に身を投げたことになっています。


ただ愚管抄では母子はすんでのところで逃げたものの、一幡は義時の郎党に見つかり討たれた記述があります。

 

但し若狭局に関しては、どうなったかの記述がありません。

 

伝承に過ぎないのですが、一説には夫・頼家暗殺の後伊豆善寺に向かい遺骨を引き取り、比丘山で比企尼の庇護の下で静かな余生を過ごしたということです。メデタシメデタシ

 

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇
にほんブログ村

 

頼家暗殺未遂と大河では描けないヤバすぎる頼家の死の真相

今回のテーマは頼家暗殺未遂と大河では描けないヤバすぎる頼家の死の真相です。

 

頼家が生死の境を彷徨った病名についての真相

 

平安・鎌倉時代では、不明の病はやたら怨霊や祟りというのが一般的です(科学の発達した現代では考えられませんが(^^;))。

 

ということで、頼家重病(一時危篤に陥り生死の境を彷徨ったとも)は、叔父の阿野全成を謀反に陥れ誅殺したせい(つまり全成おじの怨霊)という説がまことしやかにささやかれました。


事実吾妻鏡にもこの記述があり、平癒祈願の加持祈祷も盛大に行われたようです。

 

頼家病名をネットで調べたら、コウモリに噛まれた(もちろん吸血鬼にはなりません(^^;))とか、代謝疾患(メタボや糖尿病)或いは天然痘という説もあるそうです。
ただし頼家は頭は天然だったかも知れませんが(^^;)幼い頃に罹患しているので考え難いです。

 

しかし一時期危篤に陥り、後遺症もなく完全復活となれば医学の知識に乏しい私には、中毒疾患(つまり毒殺)しか思い浮かびません。

 

頼家が生きてると困るあの華麗なる一族が一服盛ったのでしょうか?だとするとくたばり損ない完全復活した頼家がいきなり出てきたら「どっひゃー」でしょうね。

 

頼家毒殺(未遂)の実行犯はこの人だった

 

二流の推理小説は一番得をする人が犯人という定説がありますが、比企能員の変の引き金となった頼家毒殺の実行犯は超意外な人です(事実は小説より奇なり?)。

 

一流の推理小説では例え頼家毒殺が成功しても、それほど得も益もないと思われるのがこの人です。

 

もちろん架空の鎌倉時代の必殺仕事人・善次(じさま→梶原景時の置き土産)ではなく、文官として名高い大江広元です。

 

頼家が倒れたのが大江広元屋敷であり、療養していたのも大江広元屋敷だったようです(伊豆修善寺に幽閉されたのはその後)。


そういえば私が昔読んだ大江広元の子孫である毛利元就の小説で、祖先がガラスを砕いて粉状にしたものを食事に混ぜたという記述があります。


直ぐには反応しないのですが、やがて人知れずガラス繊維が血管に詰まり現在でいう心筋梗塞を引き起こすということです(当時のアリバイいらずの完全犯罪)。


大江広元は毛利家に伝わる奥義を頼家毒殺に実践したのでしょうか?

 

この後も鎌倉殿の13人に大江広元は、北条得宗家にべったりのイエスマンでした。

    
大河では描けないヤバすぎる頼家の死因

 

大江広元の邸で生死の境を彷徨っていた頼家ですが、神仏の御加護かはたまた加持祈祷の成果か(^^;)奇跡的に復活(しかも完全復活)します。


そうなると都合が悪くなるのは北条家です。実は朝廷には頼家死亡を報告していたのです。


「どっひゃー」どころでは済まされません。幽閉して当然「死んでもらいます」と刺客を送ったに違いありません。


史実では頼家は入浴中に殺されたそうですが、武芸に秀でた頼家暗殺に苦戦した刺客は局所を掴んで悶絶死ということになっています。

 

 

一説には局所を切り落とされたという話もありますが、個人的には人妻に悪さしたりのおイタが過ぎたことで貶めたデマのような気がします。


身動き出来ないように局所を押さえたことは事実かも知れませんが、とどめは心の臓への一突きか首を絞めての絞殺が妥当なのではないでしょうか?


そういえば私の記憶が間違いでないなら、確かじさまの義朝(頼朝の父ちゃん)も入浴中を襲われた記憶があるのですが如何でしょうか?

 

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇
にほんブログ村

 

源頼家が暗愚説は北条の陰謀?

今回のテーマは2代目鎌倉殿・源頼家は本当に暗愚な人だったのか?についてです。


部下の愛人を手込めにした頼家

 

英雄色を好むと申しますが、ドラマの中だけでなく、源氏は色を好む家系のようです(^^;)

 

頼家も色好み伝説として残っているのが、部下の足立景盛の美しすぎる妻(実際は愛妾とも)を留守中に拉致したという話は有名です。鎌倉殿の13人でも出てきましたが、頼家は「父上も同じことをしたではないか!」と開き直っていましたね。

 

これは単なる女好き(人妻好き?)ということではなく、頼朝が足立盛長(景盛の父で長年苦楽を共にした藤九郎)の妻・丹後局比企尼の長女)を孕ませてしまったことのようです。

 

ちなみに後に頼朝の落胤として生まれたその時の子が島津氏の祖・島津忠久だとか。

 

実は武芸百般

女子のハートを射抜くのは得意ではなかった頼家ですが、弓矢で的を射るのは得意だったようです(^^;)。

 

鎌倉殿の13人では巻狩りデビュー戦で、夏休みの図工の宿題で作ったような張りぼての鹿を射抜いたように見せかけようと御家人達が必死になっていましたが(学芸会かよ!)、武芸百般の頼家は弓馬の達人でした(^^;)。

 

どうしても暗愚な人に描かなければならなかったどこかの鏡が(^^;)頼家をドジでノロマなカメに(古っ!)仕立て上げてしまったようです。

 

暗愚な人に仕立てた陰謀説

 

ご存知のように頼朝が急逝すると18歳の頼家が2代目鎌倉殿を襲名しますが、若すぎると13人の合議制を敷いて権力を奪ってしまいます(鎌倉殿13人の始まり始まり)。

 

しかし当時の感覚で18は若すぎるのでしょうか?まして就任から僅か3か月のことです。一説には有力御家人達は先代の専制(或いは独裁)に飽き飽きしていたという説もあるようです。

 

奇しくも北条あんちゃん(片岡愛之助)は、「平家でも源氏でもそんなの関係ねー!板東武者のてっぺんに北条が立つ」と言ってましたが、頼朝が亡くなってその好機が北条に訪れたのではないでしょうか?

 

三ええケツo-_-)=○☆(>_<)三英傑じゃ!で例えられるのが、天下という餅、信長がついて、秀吉がこねて、家康が食ったなんて揶揄する人もいますが・・・。

 

これに準えると「武士の世」という餅、平清盛がついて源頼朝がこねて、北条が食ったということになるのかも知れませんね。

 

やがて若すぎる頼家は、病に倒れ重篤となりました。

 

来年の大河の主人公・徳川家康は、「守成は創業より難し」と2代将軍に秀忠を指名したそうですが、もしも頼朝が大御所になって将軍職を頼家に継がせていたら源氏の世は長く続いたのかも知れませんね。

 

ちなみに吾妻鏡の愛読者の徳川家康は秀忠が頼家にならぬように、そして徳川幕府鎌倉幕府にならぬよう苦心したようです。

 

もしも頼家の例がなければすぐに江戸幕府は滅んで、大江戸温泉物語になっていたかも知れませんo-_-)=○☆(>_<)んなわけねーだろ!

 

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇
にほんブログ村

 

阿野全成の誅殺と八田知家の頼朝弟説の真相

今回のテーマは阿野全成の誅殺と八田知家の義朝(頼朝父ちゃん)隠し子説です。


鎌倉殿の謀反の科で常陸国茨城県)への流罪が確定した全成が、なぜか下野国(栃木県)で処刑されました。


これは伊豆修善寺に流された後、フェードアウト(実は暗殺された)した範頼のケースと酷似しています。

 

13人のメンバーの八田知家が死刑執行者に選ばれたのは、反北条派閥(つまり比企の親派)だったのでしょうか?

 

八田知家の頼朝弟説(義朝の隠し子説)

 

八田知家の姉若しくは妹の寒河尼は頼朝の乳母であり、伊豆蛭ヶ島に流された頼朝に仕送りを続けた比企尼比企能員の叔母または伯母)と乳母つながりで接点があるのかも知れません。

 

八田知家ははじめ朝家(読みは同じ)と名乗ったという説があり、驚くことに頼朝の弟という説があります。


名目上は宇都宮宗綱の4男ということになっているのですが、義家の落胤で10男という説があるのです(つまり頼朝の弟)。


これが事実であれば、全成誅殺は弟が兄をということになるのですが・・・。


今なら文春砲が飛びつくようなネタなのですが、残念ながら単なるガセネタのようです。


各種資料に依りますと、八田知家は義朝に従って保元元年(1156年)に勃発した戦に参加したという記述があります。所謂いい語呂作ろう保元の乱で、「義朝の隠し子だっぺ!ごめんねごめんね」といった方言の乱ではありません(-.-")凸

 

八田知家による阿野全成誅殺の驚くべき真相

 

保元の乱に参加しているということであれば、年齢的に頼朝弟というのは辻褄が合わなくなります(生年は42年若しくは44年とか)。

 

ただそうなると、八田知家が全成を斬ったのは還暦近い年齢ということになります。

 

まだ30代の市原隼人さんが、胸をはだけてちょい悪セクターな八田知家を好演していますが、太刀が狂ったのは嵐のせいではなく老眼のせいじゃね?と思わずにやけてしまいます。

 

そういえば千葉常胤(岡本信人)が、頼朝挙兵に呼応した時は同じような年齢(実際は62歳)なのにヨボヨボでしたね。

 

令和の今の還暦は美魔女だったり、ちょい悪だったり溌剌な人多いですが、鎌倉時代は還暦まで生きる人も少ないし実際ヨボヨボだったんでしょうね。

 

 

もう一つ気になったのが、八田知家がとどめをさす時「悪禅師全成~覚悟」と悪禅師の風伝説に寄せようとしましたが、残念ながら悪禅師というのは悪人の坊さんという意味ではない(気性の荒い坊さんという意味)ようです。

 

にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇
にほんブログ村