梶原景時のチクリ魔伝説と源義経との諍い

今回のテーマは梶原景時のチクリ魔伝説と義経との逆櫓論争についてです。

果たして本当に景時は鎌倉一のチクリ魔だったのでしょうか?

また義経との諍いが頼朝との兄弟喧嘩につながったのでしょうか?

チクリ魔伝説

やがて頼朝が東国を制すると、文武両道の景時は珍重されます。

和歌にも精通し、教養も高いし、弁も立つ、「コイツ朝廷交渉にも使えるな」という頼朝のスケベ心もあったのかも知れません。

 

しかも文官としても実務能力は高いわ、弓矢・剣術においても類い稀な才で、大谷翔平をも真っ青の100年に1人のユーティリティプレイヤーでした。

 

ところが重用されれば、されるほど♪嫌われても歳をとってもやめられない♪とチクリ魔がエスカレートしていきます。

 

鎌倉黎明期の頼朝の代にあっては、御家人たちは「♪いけないんだいけないんだ、先生に言ってやろ!」と景時に讒言されても(小学生か!)、片腕として辣腕を振るい頼朝の信頼絶大の景時に手を出すことが出来ませんでした。

義経との諍い

番組でも平氏との決戦で、景時と義経はことごとく対立しています。

 

「絶対負けられない戦いがそこにある」源平最終決戦(テレ朝のサッカー日本代表のキャッチコピーか!)でも・景時はアウェーの不利を慮って船に逆にも櫓を付けて退路を計る提案したのですが義経は却下。いわゆる逆櫓論争です。

 

義経は「退路を与えては兵が臆病風に吹かれてしまう」と主張。

一方景時は「進むのみで退くを知らないばかは猪武者」と真っ向から対立。

 

しかもラストウォー・壇ノ浦ではなんと義経が自ら先陣に立候補したからさあ大変。

景時は「総大将が先陣なんて聞いたことがない。大将の器に非ず」と愚弄したとか。

義経の郎党は激怒しあわや斬り合い寸前にまで発展したといいます。景時は「あんたとはもうやってられんわ!」と舞台をはけました(漫才コンビか!)

 

もちろん頼朝には、「義経のわがままで皆が迷惑している」とチクっています。

 

さらにある御家人の壇ノ浦での活躍をもみ消したり、別の有力御家人には謀反の疑いありと密告しています。

 

いずれも疑いは晴れて、景時は罰として鎌倉中の掃除当番道路整備を命じられています。あの強面で道路整備してる姿を想像すると可笑しいですね(そんなの部下にやらせて景時はふんぞり返ってるわ!)

 

逆櫓論争の真相

実は義経と景時が言い争ったとされる逆櫓の松というのが現存されているらしいですが、残念ながら逆櫓論争は平家物語の創作のようで、屋島の戦いで景時は義経ではなく範頼と帯同していたようです。

 

もちろん景時は範頼を利用してアリバイを作って、列車で移動して義経に合流した訳でもありません(トラベルミステリーか!)

 

ですから逆櫓論争なんてそもそもはじめからなかったのです。真実はいつもひとつ!(コナンか!o-_-)=○☆(>_<)

 

 

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