頼家暗殺未遂と大河では描けないヤバすぎる頼家の死の真相

今回のテーマは頼家暗殺未遂と大河では描けないヤバすぎる頼家の死の真相です。

 

頼家が生死の境を彷徨った病名についての真相

 

平安・鎌倉時代では、不明の病はやたら怨霊や祟りというのが一般的です(科学の発達した現代では考えられませんが(^^;))。

 

ということで、頼家重病(一時危篤に陥り生死の境を彷徨ったとも)は、叔父の阿野全成を謀反に陥れ誅殺したせい(つまり全成おじの怨霊)という説がまことしやかにささやかれました。


事実吾妻鏡にもこの記述があり、平癒祈願の加持祈祷も盛大に行われたようです。

 

頼家病名をネットで調べたら、コウモリに噛まれた(もちろん吸血鬼にはなりません(^^;))とか、代謝疾患(メタボや糖尿病)或いは天然痘という説もあるそうです。
ただし頼家は頭は天然だったかも知れませんが(^^;)幼い頃に罹患しているので考え難いです。

 

しかし一時期危篤に陥り、後遺症もなく完全復活となれば医学の知識に乏しい私には、中毒疾患(つまり毒殺)しか思い浮かびません。

 

頼家が生きてると困るあの華麗なる一族が一服盛ったのでしょうか?だとするとくたばり損ない完全復活した頼家がいきなり出てきたら「どっひゃー」でしょうね。

 

頼家毒殺(未遂)の実行犯はこの人だった

 

二流の推理小説は一番得をする人が犯人という定説がありますが、比企能員の変の引き金となった頼家毒殺の実行犯は超意外な人です(事実は小説より奇なり?)。

 

一流の推理小説では例え頼家毒殺が成功しても、それほど得も益もないと思われるのがこの人です。

 

もちろん架空の鎌倉時代の必殺仕事人・善次(じさま→梶原景時の置き土産)ではなく、文官として名高い大江広元です。

 

頼家が倒れたのが大江広元屋敷であり、療養していたのも大江広元屋敷だったようです(伊豆修善寺に幽閉されたのはその後)。


そういえば私が昔読んだ大江広元の子孫である毛利元就の小説で、祖先がガラスを砕いて粉状にしたものを食事に混ぜたという記述があります。


直ぐには反応しないのですが、やがて人知れずガラス繊維が血管に詰まり現在でいう心筋梗塞を引き起こすということです(当時のアリバイいらずの完全犯罪)。


大江広元は毛利家に伝わる奥義を頼家毒殺に実践したのでしょうか?

 

この後も鎌倉殿の13人に大江広元は、北条得宗家にべったりのイエスマンでした。

    
大河では描けないヤバすぎる頼家の死因

 

大江広元の邸で生死の境を彷徨っていた頼家ですが、神仏の御加護かはたまた加持祈祷の成果か(^^;)奇跡的に復活(しかも完全復活)します。


そうなると都合が悪くなるのは北条家です。実は朝廷には頼家死亡を報告していたのです。


「どっひゃー」どころでは済まされません。幽閉して当然「死んでもらいます」と刺客を送ったに違いありません。


史実では頼家は入浴中に殺されたそうですが、武芸に秀でた頼家暗殺に苦戦した刺客は局所を掴んで悶絶死ということになっています。

 

 

一説には局所を切り落とされたという話もありますが、個人的には人妻に悪さしたりのおイタが過ぎたことで貶めたデマのような気がします。


身動き出来ないように局所を押さえたことは事実かも知れませんが、とどめは心の臓への一突きか首を絞めての絞殺が妥当なのではないでしょうか?


そういえば私の記憶が間違いでないなら、確かじさまの義朝(頼朝の父ちゃん)も入浴中を襲われた記憶があるのですが如何でしょうか?

 

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