比企尼の人物像と比企能員の変その後

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で比企能員の変の後、ばばさま(比企尼)が薄汚れた老婆に身をやつして再登場し、SNSでは「ホラーやんか!」と大反響のようです。ということで今回は比企尼の人物像と比企能員の変その後です。

 

頼朝祖先の八幡太郎義家は板東武者のカリスマ

 

後三年の役で名を馳せた八幡太郎義家(源義家)は、私財を投げ打って従った板東武者に恩賞を与えたことで常に語り継がれるヒーローでした。


義朝の代になっても、源氏は武家の棟梁と慕う板東武者も多く、比企尼の夫・掃部允遠宗もその一人でした。


義朝の信任も厚く、比企尼はやがて頼朝の乳母を任されますが、もちろん始めから尼ではなかったでしょう(ㆀ˘・з・˘)。

 

平清盛も知ってた比企尼の仕送り伝説

 

やがて頼朝が伊豆に流れると、比企掃部允も都合良く比企郡に転勤になります(比企郡の代官)。

 

ただ残念ながら夫は割と早い時期に亡くなったようで、その後に尼になったようです。もちろん本物の尼で、どこかの誰かさんみたいに「蒸れるから誰も見てないところでパタパタやる」なんてJKみたいなことはしませんΣ( ̄□ ̄)!


頼朝母ちゃん実家の熱田神宮やもう一人の乳母である山内尼は「宅は関係ないざますおほほほ」と無視したのに、比企尼は困窮する頼朝に20年間生活物資の仕送りを続けたのは有名ですが、平清盛も知っていたという説もあります(今回の大河ではマツケンさん、頼朝の存在すら忘れていましたがΣ( ̄□ ̄)!)。


そして比企尼がもうひとつ頼朝に送ったものがあります。
石橋山の戦いでも出てきましたが、観音様です(ご本尊を持って来いと無理難題を言って北条あんちゃん死なせてしまいましたが(^^;))。

 

頼朝は贈られた観音様を肌身離さず持っていたそうですが、石橋山から逃れて安房に渡れたのも観音様のご加護があったのかも知れません。

 

 

比企能員の変の後も比企尼は生きてた?

 

残念ながら比企尼の生まれた年も亡くなった年も分かっていません。
ただ比企能員の変が起こった頃は既に鎌倉を離れており、比企の地は比丘尼山で草庵に住んでたという伝承もあります。

 

若狭局も実は生きていた


吾妻鏡では比企能員の変で、一幡は焼死、若狭局は井戸に身を投げたことになっています。


ただ愚管抄では母子はすんでのところで逃げたものの、一幡は義時の郎党に見つかり討たれた記述があります。

 

但し若狭局に関しては、どうなったかの記述がありません。

 

伝承に過ぎないのですが、一説には夫・頼家暗殺の後伊豆善寺に向かい遺骨を引き取り、比丘山で比企尼の庇護の下で静かな余生を過ごしたということです。メデタシメデタシ

 

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