畠山重忠の人物像と畠山重忠の乱の真相

今回のテーマはネットで話題となってる髭を生やしたらフレディーマーキュリー似説の中川大志さん演じる畠山重忠を掘り下げてみたいと思います。

 

 

正直主人公の義時との一騎打ちがあるとは想像していなかったので、個人的には大河史上屈指の神回(信玄VS謙信に勝るとも劣らぬ)と感じました。ネットでは次期大河の主人公に中川大志さんを推すのも頷けます(出来れば畠山重忠主人公の大河ドラマで)。

 

畠山重忠の出自


歴史好きの方なら畠山と聞けば、室町時代三管領応仁の乱のきっかけを作った畠山氏を思い浮かべるかも知れません。しかしこちらは傍流で、嫡流伊達政宗に滅ぼされた二本松の畠山のようです。

畠山重忠は板東八平氏秩父氏の一族で、河越氏(義経に嫁いだ郷の実家)や稲毛重成と同族です。

 

源氏の敵時代

秩父一族は多くの東国武士と同様、元々は源氏の家人だった一族です。

 

しかし畠山重忠の父・重能は平治の乱で敗れた源氏を見限って、平氏に与した日和見的な勝ち馬に乗る願望の塊みたいな人でした。

 

 

頼朝が大敗を喫し、命からがら安房に逃げ延びたあの石橋山の戦いでは、大庭景親梶原景時らと共に平氏方として出陣しています。実は北条のゆかいな仲間たちの三浦義村のじさま・三浦義明を討ち取り衣笠城を落とす活躍をしています。

 

番組で時政が畠山討伐に三浦義村和田義盛に何の説明もなく「じさまの仇を討つ時が来た」とちんぷんかんぷんのことを言ってたのはこのことなんですね。

 

源氏の斬り込み隊長・畠山重忠誕生


畠山らの秩父一族はその昔、源義家に従って名を上げた武蔵の豪族です。はじめこそ平氏に付きましたが、安房で再起した頼朝の軍が千葉・上総を従えて大軍になると、白旗を掲げて起伏しました。

 

もちろん完全お手上げ「あんたが大将」と源氏に寝返ったというニュアンスではなく、ご先祖様が河内源氏の中興の祖・源義家から後三年の役の功労で賜った源氏のシンボルである白旗です。

 

この演出に白組総大将の頼朝が喜ばない訳がありません。斯くして紅組の平氏との我が国初の紅白歌合戦紅白合戦で、畠山重忠らの秩父一族が白組の士気を高めたのでした。

 

 

敵から降参して味方になる場合、戦で先陣を切らせるのが常套手段ですが、頼朝も畠山重忠に先陣を命じます。


短期決戦でラッキーボーイは付き物ですが、若武者・畠山重忠は殆どの戦で先陣を任され、そして期待に応える鎌倉幕府創業の立役者(MVP候補(^_^;))となります。

 

 


武士の鑑伝説

頼朝を評して番組のナレーションで「決して人を信じないお方でした」という場面がありましたが、そんな冷酷無比な頼朝が「武士の鑑」と褒め讃え信頼した御家人がいました。その漢(おとこ)が畠山重忠です。